コージーは物静かなのだけど意思が固い。

「自分のパドルで乗る」
「立って乗る」
「ショートボードに乗る」

この3つがサーフィン復帰への彼の大事な大事な指標なんだと僕は感じてます。右半身は退院後も昔のようには動かずパドルも、プッシュアップもままならないのだけど。

コージーが倒れてから、「僕だったらどうなんだろう?」ってのをよく考える。

僕だったらサーフィンへの情熱はここまで保てるかな?(→わかんない。でもコージーが見本を示してくれたから今後は大丈夫な気がする)
僕だったこんなにオープンマインドでいられるかな?(→わかんない、卑屈になりそうだな。だってあなたは当事者じゃないじゃん、とか思いそう)
僕だったら何にこだわるだろう?(→おそらくボードの長さにも立つことにもこだわらない。でも、たぶん1人で海に入りたいって強く思いそう…)

サーフィンは非常に個人的な遊びで、サーフィンへのこだわりはひとそれぞれなわけで。だからこそ、そのサーファーのこだわりはなによりも大切だと思う。だから僕は、コージーと海に入るときはコージーの思いを大切にしたいなと思う。

なるべくボードは押さないし、手も貸さないし、僕自身も楽しむ。「コージーのサーフィンをサポートしてあげる」じゃなくて、僕も波乗りを楽しんで、その時間を共有するってことをしたいなと思う。なんとなく。

そのなかで、コージーの3つのこだわりに向けて時間を重ねていけたらと思う。

今日は復帰後のコージーと3回目の波乗り。

1回目は膝モモサイズの逗子海岸。ロングボードで、自分でパドルをして波を捕まえていた。本人的にはイマイチだったっぽいけど、脇で見ていた僕はうれしくて仕方なかった。

2回目も膝モモサイズの由比ガ浜。ロングボード。支援してくれているチームがプッシュしての波乗り。復帰後、初めてボードの上に立つ。これはもう、感動。退院後、わずか数か月でボードの上に立ってる!!やっぱりうれしい。

そして今日。3回目。台風5号のウネリが入る由比ガ浜。前線にさえぎられてきっと小さいだろう、夕方は潮があげているからゆるゆると楽しめるだろうと期待してビーチへ。コージーはロングボードでなく、自分で作った短い“ドム”をもって。僕は今年作った新しい自前のボードをもって。こんなに早く二人で自作のボードをもって台風の海に入れるなんて。その事実に感動しながら(すぐ感動する…)。

だってこの台風は2018年、最初の台風!コージーが倒れたのは2017年最後の台風。つまりブランクはほぼなし。すげーな。

波は・・・。前線が途切れたのか次第に大きくなる。掘れるダンパー波。ドッカンドッカン巻いているし、ショルダーがないし、乗れたもんじゃない。コージーもさすがに小さなボードだとセットを越えられないし、まかれるし、若干、意気消沈気味。(そういう僕も今日はほとんど乗れませんでした。でかいだけ、切れ目なし。上手な人は乗っていたけど・・・)

いったん、僕は自分のボードを置いてコージーの脇についてアウトに出るサポートをすることに。セットで頭ぐらいあるビーチの波。なかなかのアドベンチャーでコージーも僕も必死。二人でボードを挟んで、ワッショイ、ワッショイとお神輿をかつぐように波を越えてく。台風の海で、これまで一度もやったことのない共同作業になんだかよくわからない笑いと掛け声がこぼれてくる。足がつくかつかないかギリギリのアウトサイドに出たらコージーは板に乗って向きを変えてパドル。

サーフィンというのか、波に押し戻されるというのかびゅーっと岸に向かって走っていく。その様が愉快で大笑いして、またチャレンジして、時に波に巻かれそうになって…、時にいいピークからバビューンとかっ飛んで。ひとしきり楽しんだのだけど、沖で浮いている僕が疲れておぼれそうになってギブアップ。

上がった後、岸で話しているとコージーがぽつり。
「パドルが課題だとわかったよ。右手をもっと鍛えないと。陸トレなんかしたことないけどやらないとな。立つとかどうこうよりもまずパドルだ」

なんだか、かっこいいぞ。そう、パドルだ。短い自分で作ったボードに乗るためのパドル。それを必死にやる。それがコージー流だ。

僕も含めて、回りはやっぱり勝手なことをいうのだと思う。

たぶん、サーフィンをするだけなら、浮力のある大きなボードで、サポートをしてもらいながら立つ、という「体験」を積み重ねるのが近道なのだと思う。そのほうが身体が立つ動作を覚えるし、まずは大きなボードで立つ「体験」を重ねてから、ボードサイズを落としていけばいいのだと思う。

その方が合理的な気がする。

でもたぶん、僕の想像だけど、コージーの中では違うみたい。短いボードに乗る。それが自分がこだわってきたことだから。自分のパドルで乗る。だってサーフィンてそういうものだから。そのうえで立つ。

サーフィンの「体験」を繰り返すのではなく、自分がイメージするサーフィンの「本番」を繰り返していきたいのだと思った。回り道になったとしても。

たぶん、そうやって「本番」の道を進んでいくことで失敗を繰り返しながらコージーがイメージするサーフィンに近づいていけるのだと思う。

コージーがサーフィンと向き合うプロセスがあまりに恰好よく、その記録を残すことがこれからコージーと似た経験をするかもしれない僕自身だったり、ほかの誰かのためにすごく大切な気がする。乱雑な文章だし、思い込みもあるし、不定期になるかもだけど、そばで見て、この記録を残したいと強く思った次第です。

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コージーとのサーフの記録